三拍子そろった汐留出張マッサージ

東京出張のときのことです。昼間の商談の疲れがどうしても取れないので、出張マッサージを頼みました。電話で頼んで20分でやってきました。想像していたより早かったです。以前、頼んだときは、30分ぐらいかかりましたから。30代ぐらいの妙齢の女性でした。「遅くなってすみません」「いやいや、おたくは早いよ」などとしゃべりながら、私はTシャツ一枚になりました。「うちのお店は呼ばれて10分で行かないとしかられるんです」謙虚な人です。「すみません、先払いになっているもんで」「いくら?」「5000円です」安い。以前、呼んだマッサージ師はいきなり10000円もボラれましたから、このお店は良心的です。「あの、シャツは脱いでもらえませんか」私は照れながらも上半身裸になりました。彼女は私の背中にオイルを垂らしていきました。冷たいオイルが背中にひろがっていきます。「では、始めます」彼女の手が指が私の背中で踊りました。首から肩甲骨から背骨まで、疲れがたまっていたところを指がすべっていきます。「気持ちいいねえ」「ありがとうございます」「お顔のほうもマッサージさせてもらいます」彼女は私の顔面をもマッサージしていきます。目の奥の疲れもとれていきます。最後は頭の頭頂部をマッサージ。「ありがとう、また東京に来たときに呼ぶから」「ありがとうございます」彼女は私のカラダをキレイに拭きながら笑顔を返してくれました。

再開発で再生された汐留

汐留と言えば、日本テレビのあるところとして有名ですが、巨大な複合都市「汐留シオサイト」のある「地域」を指しています。「地域」と記したのは現在、汐留という名の町はなく、港区東新橋の大部分と海岸一丁目の一部が昔の汐留に当ります。

汐留一帯は昔、東京湾に面する湿地帯でしたが、江戸幕府ができた時に徳川家康が発令した「天下普請」(諸大名の奉仕による城下町建設事業)により埋めたてが始まり、家光の代に完成して汐留と名付けられます。当時は大名屋敷を有する武家屋敷の町でした。

明治になって屋敷が接収され、1872年(明治5年)に日本初の鉄道が横浜との間に開設された際に、起点となる新橋駅が汐留にできます。その後、1914年(大正3年)に東京駅ができて起点が東京駅に変更されたため、新橋駅は貨物専用駅に変更され、貨物ターミナルとして栄えることになります。 

しかし、貨物輸送のツールが列車からトラックの時代になったことで、1986年(昭和61年)に汐留貨物駅が廃止されて以降、31ヘクタールにもおよぶ広大な空き地が手付かずのまま残っていました。

そして、1995年(平成7年)になって再開発が始まり、超高層オフィスビルやホテル、数多くのレストラン、ショップなどが地下通路とペデストリアンデッキでつながる現在のシオサイトが出来上がります。